この記事を読めばコウモリが「どっちつかず」「裏切り者」の象徴とされる由来から、職場や日常の人間関係への活かし方までまるごと理解できます。
「コウモリみたいな人だよね」
「あいつ、コウモリ野郎だから」
そんな言葉、一度は耳にしたことがあるんじゃないでしょうか。
日本語ではコウモリという動物の名前が「ずるい人」「両方にいい顔する人」を指す言葉として使われていますよね。
でもそれ、なぜなのかちゃんと知っていますか?
実はこれ、2000年以上前のイソップ物語が起源で意外なほど深い人間洞察が込められているんです。
しかも中国やヨーロッパではまったく真逆の意味でコウモリが使われているという事実もあって、なかなか面白いんですよね。
コウモリ=裏切り者の起源
イソップ寓話「鳥と獣とコウモリ」のあらすじ
この表現のルーツはイソップ寓話「鳥と獣とコウモリ」という物語にあります。
ペリー・インデックス566番として分類されている、かなり古い話です。
あらすじはこう。鳥と獣が「どちらが強いか」で戦争を始めます。そこでコウモリはずる賢くも、獣が有利になると「私は全身に毛が生えているから獣の仲間」と獣の陣地へ。
鳥が優勢になると「私は羽があるから鳥の仲間」と今度は鳥の側へ寝返る、というのを繰り返しました。
そして戦いが和解で終わった後、コウモリは両陣営から「卑怯者は二度と出てくるな」と仲間はずれにされてしまいます。
居場所をなくしたコウモリは暗い洞窟に身を潜め、みんなが寝静まった夜にしか飛べなくなってしまった‥という結末です。
…うん。これはなかなか手厳しい。コウモリが夜行性であることへの「物語的な説明」にもなっていて、民話としてよくできているなと感じます。
日本語に定着した「コウモリ野郎」という言葉
この寓話から転じて、日本語では「コウモリ野郎」「コウモリみたいな人」という慣用的表現が生まれました。
意味は「どっちつかずで、勝ち馬に乗り続ける卑怯者」「裏切りを繰り返して信用を失う人」です。
コウモリの「どっちつかず」を生んだ本当の理由
生物学的にも「どちらでもない」生き物
コウモリが「どっちつかず」の象徴になったのは物語だけの話じゃないんです。
実は生物学的にもコウモリはかなり特異な存在です。
コウモリは翼を持って空を飛ぶにもかかわらず、鳥類ではなく哺乳類に分類されます。
正式には「脊椎動物亜門・哺乳綱・翼手目」に属する生き物です。
具体的な違いを見てみると……
- 産まれ方
鳥類は卵生ですがコウモリは胎生で生まれ、母乳で育てます - 翼の構造
鳥の翼は羽毛で覆われていますが、コウモリの翼は「飛膜」という伸縮性のある膜でできています - 骨格
コウモリの翼は人間の手のように5本指が細長く伸びた構造
見た目は「鳥」っぽいのに、内実は「哺乳類」。
この生物学的な曖昧さが、古代の人々にコウモリを「どちらでもない存在」として捉えさせた背景にあるのかもしれません。
ただ、これは私の考察であって確実な因果関係があるとは断言できませんけど。
中国の古典でも「骑墙派(きっこうは)」として批判された
コウモリの「どっちつかず」批判は日本だけの話じゃありません。
中国の明代に編纂された冯梦龙(ふうぼうりゅう)の『笑府』という書物にも「蝙蝠骑墙(へんぷくきっこう)」という言葉が登場します。
その物語はこんな感じ。
鳳凰(ほうおう)の誕生祝いにコウモリは「自分は獣の仲間だから」と欠席し、麒麟(きりん)の誕生祝いには「自分は翼があるから鳥の仲間」と言って欠席した。
麒麟と鳳凰が話し合い「なんと嘆かわしい、不禽不獣(鳥でも獣でもない)の輩よ」と嘆いた、というものです。
しかも魯迅(ろじん)も「談蝙蝠(蝙蝠について語る)」というエッセイの中でコウモリを左でも右でもない「第三種の人」を批判するための比喩として使ったことが知られています。
日本語で使われる「コウモリ」ことわざ一覧
コウモリにまつわる日本語の慣用表現は実は「裏切り者」だけじゃないんですよね。
代表的なものを整理してみます。
①コウモリ野郎(こうもりやろう)
意味:どっちつかずで、形勢を見ながら有利な方につく人。裏切りを繰り返す信用できない人物。
②鳥なき里の蝙蝠(とりなきさとのこうもり)
意味:優れた者や強い者がいない場所で、たいしたことのない者が威張っているようす。小学館『デジタル大辞泉』にも記載のある慣用句です。
この2つ、実はニュアンスが全然違うんですよね。
「コウモリ野郎」は八方美人や裏切り者的な意味合いで、「鳥なき里の蝙蝠」は「大した実力もないのにえらそうにしている」という批判です。
同じコウモリが使われているのに、まったく逆方向から批判されているというのがなかなか面白いというか…。
現代の人間関係で「コウモリ的行動」をどう見るか
職場のコウモリ問題
「コウモリ野郎」と言われるような行動は職場でもよく見られますよね。
派閥争いが起きているとき、どちらにもいい顔をして有利な方についていく人。
これがまさに「コウモリ的な振る舞い」です。
ただ、これを単純に「悪い」とは言い切れない側面もあって…。
職場での中立は一種の「戦略的どっちつかず」として機能することもあります。
特定の派閥に属することなく誰とでも仕事の話ができる「風通しの良さ」を維持できる点は中立を保つことのメリットだという考え方もあるんですよね。
問題になるのは「中立を装いつつ、都合によって片方を裏切る」場合です。
これがイソップのコウモリと本質的に同じ行動パターンで最終的には両方から信用を失うことになりがちです。
コウモリ的行動が信用を失わせる理由
「裏切りを繰り返すような者はやがて信用を失う」
これが
「ひきょうなコウモリ」
の物語から得られる最大の教訓です。
ゲーム理論的に見ても面白くてコウモリのような行動は短期的には「勝ち馬に乗れる」利益をもたらしますが、長期的には「あいつは信用できない」という評判コストが積み重なっていきます。
協力しない個体には社会的制裁(信頼の喪失)が加えられるのは人間社会でも動物社会でも普遍的なメカニズムなんです。
「コウモリ」と言われないための考え方
「どっちつかず」と「中立」は別物
ここ、けっこう大事なポイントだと思っていて。
「コウモリ的な人」と「中立を保つ人」は一見似ているようで本質が違います。
コウモリ的な振る舞いの核心は「自分の利益のために立場を使い分ける」ことです。
一方、真の中立は「どちらにも公平に接し、誰かを利用するための道具として人間関係を使わない」というスタンスです。
言い換えれば
- コウモリ型
形勢を見ながら「今こっちについた方が得だから」という損得で動く - 中立型
「どちらの立場も尊重しつつ、自分の軸をちゃんと持っている」
この違い伝わりますかね。
板挟みのときにできること
職場や友人関係で「どっちつかずを強いられる」状況に陥ったとき、どう対処すればいいか。
まずすべての関係者に対して公平な挨拶と態度を維持することが基本です。
挨拶は「私はあなたを敵だと思っていない」というシグナルとして機能するので、特定のグループへの肩入れをせず、業務上の協力は惜しまない姿勢が大切です。
ただ、プライベートな付き合いや誰かの批判に加担するような場面では一歩引く。
このバランス感覚が「戦略的中立」の基本だと個人的には思いますね。
まとめ
- 「コウモリ=どっちつかず・裏切り者」の由来はイソップ寓話「鳥と獣とコウモリ」で、鳥と獣が戦うなか、形勢を見ながら寝返り続けたコウモリが最終的に両方から仲間はずれにされた話が起源
- 生物学的にもコウモリは哺乳類でありながら翼で飛ぶという「どちらでもない」特異な存在であり、この曖昧さが象徴として使われてきた背景と重なる
- 中国の明代の書物『笑府』や魯迅の著作でも、コウモリは「両面派・骑墙派」批判のシンボルとして使われてきた
- 現代の人間関係では「コウモリ的行動(損得で立場を変える)」と「中立(公平に接する)」は似ているようで本質的に別物。前者は長期的に信用を失いやすい
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